「徒然草」を読んだ。兼好=早期リタイア実践者?
とは言うものの、学校の授業で習ったきりで、通読したことが無いという方も多いのではないでしょうか。これを普通に通読しても十分面白いのですが、
これに早期リタイアというテーマを結び付けて読んでみると、また違ったものが見えてきます。
早期リタイア実践書、というところでしょうか。
なにせ、著者の兼好は早期リタイア実践者(?)なので、言葉に重みがあります。
第五十九段
大事を思ひ立たん人は、去り難く、心に懸からん事の本意を遂げずして、然(さ)ながら捨つべきなり。
「暫し。この事、果てて」、「同じくは、かの事、沙汰し置きて」、
「然々(しかじか)の事、人の嘲りや有らん。行末、難なく、認め設けて」
本文略
訳
出家・隠遁というような人生の一大事を思い立とうとする人は、
どんなに捨てがたく、また心懸かりなことがあったとしても、それらの目的を達そうと願う事をやめ、
すべてを捨て去るべきである。
「あと少し待ってほしい。このことを、し終えてから」、
「どうせ同じことなら、あのことをちゃんと始末してから」、
「こういうことについては、出家後に、他人の嘲りがあるかも知れない。
将来困ったことが起きないように、よく準備をしてから」、
「これまでの長い期間、ずっと出家せずに暮らしてこれたのだから、出家を少しばかり延期しても、
これまでに比べたら短いものだ。慌てふためいて出家したのではないと思われるようにしたい」
などと思うようでは、
避けられない用件ばかりが、次から次へと重なって、雑事が無くなる時もなく、
思い立って、決行する日もあるはずはない。
大方、人々のことを見ていると、なまじっか少し、出家したいという心がある人は、
このような感じで出家を先に延ばし続けて、一生を過ごしてしまう。
けれども、近所で火事があって逃げる人は、「ちょっと待て」
などと言うだろうか、言いはしまい。
自分の身を助けようと思ったら、恥も顧みず、財産も捨てて逃げ去るものだ。
同じように、人間の命は、その人の都合に合わせて、
待ってくれようか、待ってなどくれない。
死と言う無常がやって来るのは、水や火が攻めてくるよりも速くて、
逃れがたいものだ。その時、老いた親、小さな子供、主君の恩、人の情け、
そういったすべてのものを捨てることが出来ないと言ったって、捨てないではいられないではないか。
ちくま学芸文庫「徒然草」 P.126-128
この辺は早期リタイア志望者の私にとっては、参考になりました。
私の場合、まだ早期リタイア時期がそこまで具体的な物になっていません。
とにかく早く辞めたい!の一心です。
しかし、早期リタイアが具体化し、
いざ!と決断する時、人はやはり迷ってしまうものなんでしょうか。
徒然草を単なる学校で習った古典・・・で終わらすのはもったいない。
これは早期リタイア精神を養う指南書としても活用できそうです。
ちなみに、私が読んだのはちくま学芸文庫版。
現代語訳は若干、意訳部分が多かったです。
この辺は好みが分かれるでしょう。
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